『英文解釈教室』
伊藤が1977年に著した『英文解釈教室』は,20年後の1997年に改訂版が発行されました。巷では,「東大志望者のほぼ全員が購入するが,最後までたどり着いた者は誰もいない」と囁かれていますが,2012年5月現在,31刷まで重版されています。
以下は,手元にある初版の「はしがき」の全文です。伊藤氏の日本の英語教育に対する問題意識から,現在,いったいどれほどの成果を手にしたのでしょうか。
伊藤和夫著『英文解釈教室』(研究社,17版,昭和59年1月20日発行)
だれでも歩くことはできるが,歩くときの筋肉の動きを説明できる人は少ない。呼吸は生存に必須の要件であるが,そのメカニズムを解明できる人はまれである。生活に必要な活動であればあるほど,その過程は無意識の底に沈んでいる。しかしこれらの生得の活動の場合とはちがって,幼児期を過ぎてからの外国語学習では,意識の底にやがては定着し知らず知らずに働くことになる頭の動きを一度は自覚し,組織的に学習することが必要である。言語はもともと自然界の事物とはちがって,単語の意味から語法のはしばしにいたるまで,長い時間をかけて成立した社会的な約束の集積であるが,これらの約束は雑然たる集合ではなく,基本的な約束と派生的な約束,必然的な約束と偶然的な約束が集まって1つの有機体を構成している。言語が使えるとはこの有機的体系が自己の血肉となっていることであり,英語の学習とは英語の約束の体系に自己を慣らすことである。
では,具体的にこの約束の中心となるもの,つまり語法上の約束とは何であろうか。それは文法の体系であると考える人もあろう。しかし,ラテン語の文法を範型として成立した現在の学校文法は,そのままの形では我々が英語を読む際の有効な道具たり得ない。換言すれば,我々が英語を読む場合の頭の働きに対応する構造を持っていないのである。英文読解の方法を確立しようとして文法のみに頼れなかったわれわれの先輩は,明治以来多くの努力を重ねてきた。英文解釈の公式と呼ばれるものを中心とするいくつかの「英文解釈法」はその苦心のあとであるが,筆者の見解では,そこには熟語表現への過度の傾斜と,日本語を媒介とすることへの無邪気な信頼がある。No more ... thanを代表とする,日本語の思考様式になじまない熟語的表現が日本人の目を奪ったのは当然であるが,これらの表現は英語の中心ではなく,四季折々に現れる料理の色どりにすぎず,それに習熟することと英語そのものが読めることとは,ある程度別の次元のことである。また,いわゆる公式が,so ... that=「非常に...なので」のように,単に日本語への言いかえを示すことで満足していることの背景には,漢文の摂取に見られた「外国語⇒日本語⇒事柄」という図式がある。英語自体から事柄が分かること,つまり訳せるから分かるのではなく分かるから必要なら訳せることが学習の目的である以上,この方法に根本的な倒錯があることは否定し得ない。
訳読中心の学習法を批判することは戦後の流行である。しかし,批判者は新しい学習法として何を打ち出したのであろうか。「英語で考えよ」と言われる。だが,方法を教えずにただ考えよと言ったところで絵に描いた餅にすぎない。「直読直解」と言われる。たしかに読むに従って分かるのは理想である。しかし,それはどのような頭の働きなのか,何を手がかりとし,どのような習練を積めばその域に到達しうるかの具体的道程を示さずに,念仏のように直読直解を唱えたところで初心者には何の助けにもならない。「多読が重要である」と言われる。だが,そもそも読むことができない者に多読と言った所で,それは多くを読んでいるのではなく多くを誤解しているにすぎない。誤解の集積がどのような過程で正しい理解に転化しうるかの説明は聞けないのである。訳読法批判の結果,現実にはわれわれは方法以前,つまり,「読書百遍,義おのずから通ず」の域に退行したのではないだろうか。最近の文法軽視の傾向と相まって,現在の英語教育の成果はかつての訳読中心時代のレベルにも達していないのではないかとの危惧を筆者は抱かざるをえないのである。
筆者が本書で試みたのは,英語を形から考える練習,つまり,英語を読んでいるかぎり決してそこから離れることができない基本的な約束を明らかにすることから出発し,その原則に基づいて英語の構造を分析し,読者とともに考えることを通して,英語を読む際に具体的には頭はどのように働くのか,また働くべきなのかを解明することである。あまりに根本的であるため取り上げられることがかえって少ないが,実は最も重要な事項の徹底をはかることによって,英語を読む際の呼吸の仕方を考え,「英語 → 事柄 → 日本語」という図式での思考法を確立することと言ってよいかもしれない。「基礎」が分からないと思いこんでいる学生の中には,文の5文型・時制・不定詞・関係詞などについて一応の知識を持っている人が意外に多い。この段階の人に必要なのは,「基礎」と実際の英文をつなぐための新しい次元の学習である。「基礎」を構成する個々の要素は単純であっても,それが複雑に組み合わさり,言語表現という制約の中に組みこまれるとき,そこには「基礎」と別の次元の問題が生じている。このレベルの問題を分析すること,いささか大げさにいうならば,直読直解への具体的な1つの方法の提示と受けとめてもらえば,筆者の願いは達成されたことになる。
引用終わり